やってくるチャンスに乗り「できること」を自然体で:佐藤惠子さん

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農家の主婦としての活動

ーその後、農家のお嫁さんになるわけですよね?
佐藤:実は、その会の会長と結婚したんです。最初言われた時は、無理無理ってなったんですけど、その後、フィリピンの友達が結婚した時に同じ車で、ずっと移動することがあって、なんかそのカップルの雰囲気にアテられちゃった感じありますよね(笑)。今思えば、完全に勘違いなような(笑)。

ー(笑)ー
佐藤:結婚を決めたら、両親からは反対されました。「そんなひ弱な身体で農家に嫁ぐなんて無理だ」って言われて。

ーどういう農家をされてたんですか?
佐藤:酪農農家でしたね。牛とか飼ってるような。父からは、まずは修行してこいって言われて、知り合いの山形の農家にちょっとだけ修行にいきました(笑)。そこが意外と緩い農家だったので、けっこうのんびり学ませてもらった感じでした。

とはいえ最初は、一輪車にフンを載せて歩くのができなくて、手はパンパンになるし、牛の尻尾で肌は荒れるし苦労もありましたけど、でも、かわいがってもらったなと。

ーその修業を通して結婚もOKになったんですね。
佐藤:そうですね。それと主人が選挙に出ることもあって、「急いで結婚しないと!」って流れになってました。結婚後、すぐの選挙は当選しなかったんですけど、その後、牛の世話をしつつ選挙の手伝いをするっていう日々でした。面白かったですよね。

ーその後は、ずっと、農家で主婦生活をされてたんですか?
佐藤:そうです。農家なので、起きたら寝るまで働くっていうのが日常でしたね。その中で、色んな役割に呼ばれるので顔を出してました。会議に出たら座ってお茶飲めるじゃないですか(笑)。

でも、発言しないと眠くなっちゃうので発言するんですね。そうすると、役員になれって言われて最終的に12,13ぐらいの団体の役員してましたね(笑)。

ー13!?ー
佐藤:和牛婦人部、酪農婦人部、更生保護とか、農協婦人部とか、PTAが3つ、地区農若妻会が2つ…とかそんな感じでしたね(笑)。

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ー佐藤さんには、そういう役回りが自然と集まって来るんですね。
佐藤:みんながけっこう喜んでくれるんですよ。私、少数派人が我慢しているのが見てられなくて。そういう人の声を聴くんです。そのために根回しして。根回し大好きなんですよね。面白いですよね。農家の嫁の声って、一人だと力はないんですけど、まとまると街を変える力をもつわけですよ。

ーなるほど。
佐藤:それはすごいことですよ。だから、女性の団体はめちゃくちゃ持っていました。だから、選挙も二回目の時は、母体となる婦人部をつくって、そこをベースに選挙に挑んでましたね。すごく団体としてしっかりしてましたね。組織化するって好きなんです。

ただ、女性団体の場合は目標を明確にしないとバラバラになっちゃうので、常に目標をかかげて。それを繰り返しをしていくと組織が健康になっていくんです。それが面白かったですね。

ーその時から、ファシリテーションを学ばれていたんですか?
佐藤:そんなことはないですよ。自然とそういう役割になってました。その時は、みんなに安心してもらうために会議の席では、すべて決まっている状態を目指して家を回ったりしてましたね。そうすると、スムーズだしみんな安心するんですよ。

ー根回し大事ですよね(笑)。
佐藤:人によってはね、タイプが違ってたりするんで、呼びかける頻度が違ったりするんですけど、そこはけっこうマメにしてました。

ー予想以上に活動にビックリしましたー
佐藤:他にも、まめっこクラブっていう地場産品を売るクラブとか、加工クラブとかもいっぱい創りました。今でいう道の駅の母体みたいなものですね。あとは、PTAでも広報コンクールっていうのにも挑戦して、その時は、私達ド素人だから過去の優勝作品全部パクろう(笑)って団結して、みんなで研究を重ねて2年目で金賞もらったりしてました(笑)。だから、私から電話があると、みんなが次は何するの?って言われるぐらいになってました(笑)。

ーすごい行動力!
佐藤:ある時は、平日家にいる人たちをかき集めるわけですよ。昼間家で手持ち無沙汰にしてたりするんですね。そんな感じで何年か活動していたら、そのうち就職したいって言う人がでてきて、じゃあっていうことで最終的には就職先のお世話とかもしてました。

できることから始める障害者支援

ーここで、ちょっと話題を変えてみますが、以前べつのインタビュー記事で、その時代に職親として、障害者の方々を支援すること興味を持たれたとききました。

佐藤:そうですね。興味というか「できること」をしてきたって感じですね。一緒に働くと、これくらい変化がおきるとか、どんな風に対処したらいいのか、とか。最初に来たのが、19歳の知的障害を持ってる子だったんですけど、喋れないし歩けなかったんですね。身体は大きかったんですけど。で、すごく睨みつけるような顔の子だったんです。そんな状況だったんですけど、まず、靴を見たら、靴が小さすぎたんです。なので、サンダルを用意して、毎日話しかけをしてたんですね。毎晩、食事を一緒にたべて後、「おいしい?」って聴くと、すごい睨んでくるんですね。

あー、睨んでるなくらいに思ってたんですけど、3日後くらいに、「けいこちゃん、おいしかった」って言ってくれたんですね。つまり、彼は、なんて私に答えるかを3日間考えてたんですよ。それでだんだん短くなって冗談もいえるようになったり。時々、暴れる事もありますけど、その時はすかさず抑えて、あなたは如何に親のために働いているのか、私にとって大事な人なのかを、ずっと言い続けたんですね。それをひたすら繰り返しました。

こんなこともありました。
彼にとっては、雨が振ると家に一人でいなきゃいけない嫌な日だったんですね。でも農家にとっては、休みになる良い日でもあるんです。なので、「ここでは、雨を降ったら休める良い日なんだよ」っていう置き換えをしてあげなきゃいけなかったんですね。例えば、その日に彼の大好きなポテトチップスだとか、美味しものをごちそうしてあげたりしながら、だんだん置き換えができるようにしていきました。そしたら、泣かない、暴れない子になっていきましたね。だから、できることをするっていう事ですよね。

いいも悪いも含めて、地方にいたことで、関わることができて、すごく嬉しかったです。

ー「できること」ってワードがすごく印象的でした。「やらなきゃいけない事」とか「ならなきゃいけない事」とかでもなくて、佐藤さんが「できることを増やしていく」っていう自然な流れのプロセスに聴こえました

佐藤:そうです。ありがたいですよね。そういう体験をさせてもらえて。その時に、観察が役にたつのかなと思うんです。

ある時、朝の6時に私のところに電話をかけてきた人がいたんです。で、なんでこんな早くに…って思うだけじゃなくて、どうして、この電話をこの時間にかけてきたのかなと考えるんです。その子が、前の日、一晩どうやって過ごしたんだろうって。きっと、寝れなかったんじゃないかとか、でも迷惑にならない時間にとか、色々と考えたんだろうって。そんな事を思いながら、声を落ち着かせて、話をしてみる。なにがあったんだろうって。それが大事ですよね。どんな事も大事に思わなきゃいけないなあと思います。

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ーなんか今、幼少期のお話の時の、人とかおもちゃの構造への興味と重なる部分があるなぁと思いながら伺っておりました。
佐藤:そうなんです。どうしてそうなっているかって事がすごく大切なんです。そして、それを感謝で表すってことですよね。さっきの話だと、電話してくださったことに感謝をして、あなたが気づかってくれていてくれた事に感謝して、またいつでも電話してください。って伝えるようにしていますね。

ー佐藤さんのその思いって、どういう体験からきてるんだと思われますか?
佐藤:幼少期に私が否定されてきたから、そうされてたくないって思いが強いんだと思いますね。「あなたはみんなと違うからダメ」っていわれてきたので。そう言われると、どんなに辛いかを知ってるんです。そうなると、違っている物を排除するっていう気持ちにはなれないですね。

家の中で異質だった私は、異質だからダメって言われるのが一番辛かったんです。それは社会でも一緒だなと思いますよね。

大体、同じもので固まると危ないですよ。時としてはいいこともありますけど、危険をはらむでいると思います。異質な者がいて、世の中いいんですよ。

ーそこの思いが重なる部分があるんですね。職親をされるまでは、障害者の方々と関わった経験はあったんですか?
佐藤:なかったんですよ。

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