かれこれ6,7年前、職場での私の優先事項は「怒られないこと」だったと思います。
当時、IT系企業に務めていた私は、最初は「自分の力でサービスをつくりあげるんやで!」と息巻いていたのですが、現場で怒られ続ける間に、その気力はどこへやら「どうやったら怒られないだろうか?」ということばかりを考えるようになっていました。ところが、「怒られないように」と思えば思うほど、何が求められているかわからず、ドツボにはまっていく毎日。
結局、休職を繰り返しながら、最終的には退職を選択することになりました。
今日書くのは、もちろん一例にしかならないとは思うのですが、自分の事を振り返りつつ、当時何が起こっていたのか、上の立場としてどうすればよいのか?という点について心理学を学んだ今だからこその観点を書いてみたいと思います。
たしかにひょろひょろで弱々しくイマイチだったあの頃
当時を振り返ってみると、その頃の私の言動は、あまりよいものでもなかったのは確かです。
今になってみると、当時の上司の方々の苦労はいかほどばかりか計り知れません…。
当時の上司から見れば、こんな感じだったのではないでしょうか?
偉そうなことを言うくせに、指摘すると、その場しのぎのずれた答えを返す。
→そこを指摘すると、落ち込む。
→励ますと調子にのるが、また少しずれた同じことを繰り返す。
→イラッと来て、また怒る。
→やがて、どんどんと意気消沈していく。本当にやりたいことは違う、転職したいといい出す。
→んー?ほんとにしたいことが違うならいいんだけど、ほんとにそーなの?あー、どーしたらええんやー。
世のマネージャーさんにもそんな部下がいて、対応に困っているということがあるかもしれません。
※私ほどひどい例があるのかはわかりませんが。
今になって振り返ってみると
今、本当にそういう反応がなくなったのかと言われると非常に怪しいところがあるのですが(笑)、立場が変わって若い人を見ている時に、当時の自分と似たようなことを重ねることが増えてきたのも事実です。
そういうことを何度も見ていると、当時、怒られまいと思って落ち込んでいたあの時期に絶対変えられない自分の性格だと思っていた(し、そう言われていた)部分も実は、成長過程の中での一つの段階だったのだなと思えるようになってきました。
若いとは、つまりは極端な思考の表出
生涯発達論のパイオニアとして、E・H・エリクソンという心理学者が、年代別のライフサイクルの考えに基づいて、自我の生涯発達指標をだしました。それぞれの時期に、応じた課題や危機があり、それを乗り越えながら人は、生涯にわたって成長していくという指標です。今の時代、特に日本においては少し違うこともあるかもしれませんが、重要な観点だと私は捉えています。
段階(年齢別) | 課題 | 危機 | 導かれる要素 |
---|---|---|---|
1,乳児期(0歳~1歳6ヶ月頃) | 基本的信頼 | 基本的不信 | 希望 |
2,幼児前期(1歳6ヶ月頃~4歳) | 自律性 | 恥と疑惑 | 意志 |
3,幼児後期(4歳~6歳) | 自主性 | 罪悪感 | 目的 |
4,児童期・学齢期(6歳~12歳) | 勤勉性 | 劣等感 | 有能感 |
5,青年期(12歳~22歳) | 同一性(アイデンティティ) | 役割混乱 | 忠誠 |
6,成人期(就職して結婚するまでの時期) | 親密 | 孤立 | 幸福・愛 |
7,壮年期(子供を産み育てる時期) | 生殖性 | 停滞性 | 世話 |
8,老年期(子育てを終え、退職する時期~) | 自我の統合 | 絶望 | 知恵 |
その中でいう青年期は、 アイデンティティ (自我同一性)の確立の時期です。自分自身が模索していて、かつ何かしらの固定の立ち位置というのを定めようと葛藤する時期でもあります。
かつ、成長の過程の中で、その極端な面は必要である、と私は思います。大人な人から聞くと、そのまま花開くような考え方は少ないかもしれませんが、その極端な面が、一度開いてみないことには他の可能性が開きようがないのです。
世阿弥の風姿花伝の中には、時分の花という言葉がでてきます。若くして咲いたように見える花は、本来の花ではなく、その時だけの花であると。
そこを通り越して、本当に熟した時に、大きな花が咲くのだというようなことも言われています。
その直線性が否定され続けると
またそういう経緯をへて、若さと相まって悩みが深まっていく過程には、独特の思考傾向があることも理解できてきました。
ストレスがたまると、認知療法で言うところの認知のズレのようなものが肥大化していくのです。ボキッと折れてしまった心を保つためには、さらに強固な危うい直線を書こうとしてしまうのです。
そうなると、アイデンティティを確立する段階で極端化していた思考が、どんどんと輪をかけて極端な思考になっていきます。
「みんなそう思っているに違いない」
「誰もわかってくれない」
「なんでも出来る人にならなければならない」
などなど
これが強まりすぎると、現実の中で、自分の心も苦しめ、状況が悪化していく事になっていくのです。
※もちろん耐えられる強い若者もいます。
うつ病と抑うつは別物
ここで勘違いしてほしくないのは、「抑うつ状態」と「うつ病」は違うということです。「抑うつ状態」というのは、問題を抱える能力が拮抗している状態なので、誰もがあることです。もし、これができなければ、すべてを感情にまかせて散らすしかありません。
アメリカの DMS-5 の基準の中では、比較的軽症なうつ(軽症うつ病)ですら「2週間以上の間にほとんど一日中、ほぼ毎日、抑うつ気分が続いている状態」のことを指すという記述があります。
ここまで来てしまっていたら、そこはクリニックの領域になるかと思います。
適切な「うつ状態」は成長には必要な要素
つまり、すべてのうつ状態が悪いものではないということです。
これは、筋トレに例えるとわかりやすいかと思います。筋肉を鍛えていくためには、必ず負荷が必要になります。負荷をかけて休ませることで、超回復がおこり、筋肉が強化されるわけです。
これと同様に、葛藤から生じる「ストレス」がよい刺激の範疇で収まる場合は、心を強化してくれるのに役立つのだと考えます。
誰しもが一度は迫られるジレンマと決断。それに伴う悩み・葛藤。その決定を活かし、人生に価値ある形で学ぶために有効な考え方に…
成長とはつまるところ、死と再生のプロセス
成長が起こる時というのは、それまでの自分からの脱皮して新たな自分になる時です。
部下なりにもがき苦しむそのステップの中に成長があるのです。
上司も部下も悩み苦しむ中で、少しずつ脱皮して、新たな自己を確立していくものなのだと考えます。
職場のサポートとして必要なことは、抱えられる力を見抜いてあげること
それでは、上司として、どのように部下の成長をサポートしていければよいのでしょうか?
自分を省みながら、書いてみたいと思います。
まず前提として、上に立つものの立場として「褒め続ければよいか?or 指摘し続ければよいか?」と言う2択ではないということです。感情に乗っかりたくなる気持ちもわかりますが、サポートするものとしては、相手の感情より一段広い視座を持つ必要があります。立場の優位があるので、同じ土壌で感情をぶつければ、立場上の下位の人のほうが絶対的に弱くなります。
極端な例ですが、幼稚園児が怒ってきて、同じように怒り返していたら園児は泣くしかないですよね。
上司としては、一段階上のロールモデルとして機能することが必要なのです。根底で部下の可能性を見つめつつ、「この葛藤なら抱えられるかな?どうかな?」「彼(彼女)の主要なテーマは何かな?」と思案しながら一段広い位置から冷静にみる。そして、時には共感し受け止め、時には叱咤激励をする。という、臨機応変な立ち位置が求められるのです。
「違うと思うんだけどなー」とか「こうなってほしい」という願いを相手に突きつける前に、話を聴いてあげましょう。ひょっとすると、あなたの「こうなってほしい」が部下たちの悩みの引き金になっているかもしれません。
上の立場には、文章でかけるような対策のスキルというよりも、それなりに質の違うスキルが求められるわけです。
考えや姿勢を一貫させることも大事
部下が感じていることでありがちなのは、「聞く度に上司のいうことが違う」ということです。私もけっこうありました。「あれ!こないだはこう言ってなかったっけ???」で聞くと怒られる。「????何が正しいのかよくわからない???」となってしまいます。
ほんとよくある話です。
ですが、これに悩まされている人は思いの外多いはず。
多少間違っていたとしても一貫してさえいれば、部下の内面に不要なストレスや ダブルバインド は起きにくくなります。ここが加速しすぎると「怒られないように」という価値観が第一になってしまいます。
大事なことは、「気分で反応しない」ということです。
先程の視点と合わせて、マインドフルネス的な自分を客体視する視点が必要なのだと考えます。
そういった傾向と可能性は別物
「あいつはダメだなあ」とことも多々あるかもしれませんが、そういう人材に限って、別のところでは輝いたりします。ひょっとすると、私もそうかもしれません。
今思えば、大企業の中のSEとしても、ビジネスコンサルタント的な職としても、かなり「仕事のできない」若者だったことでしょう。(実際、陰口でも飲み会でも馬鹿にされてましたし) 私の場合は、余儀なくフリーランスという道を選び、粗粗しいながら対人支援やワークショップ、サイトの制作などを通しながら、今は社団法人の理事とパーソナルコーチの二足のわらじを履きつつ、なんとか生活することができています。
私の場合は、別の職についたことがキッカケではありましたが、どの職場でもまだまだ学べることはあったと思いますし、フリーランス生活自体はかなりのストレスがあったのも事実なので、必ずしもオススメするルートではないわけです。
なにか参考になればなによりです。