認識し直し、学び直し、構築し直し

ここ数ヶ月ほど、これでもか、というくらい内面にいろいろなことが起こっておりました。

その結果、自分が保てなくなるくらいの物量で崩壊が起こり、表面上にも疲れが山積し、数年前のうつ症状のような変な高ぶりが身体によぎっておりました。人とあったあとに吐き気がとまらなくなり、身体が硬直し、頭がぐらぐらしてくるような。数年前のときにも同じことが起こっていたのでしょうが、当時に比べて感覚的に敏感になっているせいか、余計に辛く感じたのです。

例えば、相手がいて、この状況を見た場合、”状況を改善してあげねば”という気持ちになるわけですが、この手の身体反応が出たときは、もはや言葉上のコミュニケーションや関係改善に、あまり意味はなく、まずはただただ離れて安全を確保していくというのが最善になるように感じています。

ここは思考(脳で言えば大脳新皮質)や感情(脳で言えば大脳辺縁系)ではなく、もっと下の反射(脳で言えば脳幹)で起こっていることなのですから。他者からは余計に理解しにくく、関わることがかえって悪化を招くということもあるわけです。

ある程度前までは、なんと形容してよいかわからないバクっとした自信を持っていたはずなのに、お恥ずかしい話、コーチという形で人の支援をする立場の私が揺れに揺れていたわけです。

その自信は一体どこにあったのかと。
こんなにも、不安定な世界で生きていたのかと。
一体全体、自分をどこにどのように位置づければよいのか?と。

大げさなように聴こえるでしょうが、いろいろな歪みとタイミングがどどんと積み重なったような感じでした。内部の中で機械式時計のゼンマイがぎりぎりまで締め付けられていたのに気づかず、外部的な要因がきっかけで歯止めがきかなくなったのです。

この記事の最後に書いたように、自信というのは何度でもゆらぐのだと再認識したとも言えます。

自分に自信がない人が強く生きるために必要な6つの視点

ところが、「再認識しました。おー、気づいた〜。スッキリ〜(^o^)」みたいな単純な解決をみせるわけではないというのも、なんとも苦しいところでもございます。ひとつひとつの中から少しずつ再認識しなおして、なんとかかんとか持ち直してきたという感じなのです。

正直に話すと、元気が戻ってきたときに、改めてふたつの願いが色濃く私の中にあることに気づきました。
・もう、人と関わりたくない
・もっと対人援助をしていこう

この 弁証法 的なお題の中で、どんなアウフヘーベンが産まれるのか。この対立を感じたとき、自分自身の働き方、生き方、対人援助という中でできること含め、もう一度学び直し、再構築しようという考え至りました。

今時点はなんとも言えないのですが、今までの趣向とは、少し変わったものになっていくのではないかと予感をしています。急に成長するのではなく、ゆっくりどっしりといきたいと思います。

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