今日は、私が対話での支援を行う上で大事にしていることを書いてみようかなと思います。私自身も完璧にできているわけではないのですが、折に触れて思い出す大事な観点です。
しがない実践者のひとつの偏った考え方ではありますが、参考になればなによりです。
ちなみに今回書いていることは、セラピー技法から多く引用をしていますが、セラピーが必要な人に向けての支援というよりは、精神的に健全性のある社会人に対してのコーチング的な対話支援を行うケースを想像しています。
また、今回の視点は、対話中の支援者自身の心の動きについての記述です。その他の環境設定(契約や倫理的な話など)や関係性については、また別の機会に書きたいと思っています。
1,観察すること
私自身は、すべての支援は観察から始めるようにしています。
ピンときにくい表現らしいのですが、すごく大事なところだなと。
発達心理学者のピアジェも言う通り、人は自分自身の シェマ に当てはめて物事を認知しています。それが環境に適応しながら拡大していく。これが認知の発達プロセスであるという見方なわけですが、シェマというのは便利な半面ともすれば判断の癖にも繋がり、少ない情報量で決めつけてしまうような状況にもなりうるわけです。
ところが、他人という存在は言葉の内容だけでは語れない上に、相対している人にはわかりえない歴史を持っているものです。それを少ない情報のみで直感の名のもとに判断してしまうのは誤りにつながりやすく、危険を伴う行為であるようにも思います。(直感は思いの外、偏りやすいという話でもあります。そこについてはまた今度)
ですが同時に、相手の歴史や世界観は話の内容や表情のすべてに現れているものなのだとも考えるようにもしています。
大好きな言葉にこんな言葉があります。
“賢明な人達はあなたの表情、足取り、振る舞いにあなたの個人史を非常に鋭く読み取る。自然の全経済は表現に向かっている。体中が秘密を告げている。人間は、その水晶の顔が運動全体を表現してるジュネーブの時計のようである
ラルフ・ワルド・エマーソン”
また、「聴く」という漢字には、耳と目と心が入っています。つまり耳だけで「聞く」のではなく、五感全体を使って、なるだけ多くの視点をフラットに感じられるように心がけています。
NLPをはじめ、コーチングにも多大な影響を与え魔術師とさえ言われた精神科医 ミルトン・エリクソン も「観察できることの範囲を超えてはいけない」というような言葉(正確な言葉ではないかも)を残しています。あれだけウルトラCの魔法のようなことをしている人も、観察から判断したことしか行っていなかったという事実は、私にとっては非常に教訓的な言葉です。
また、アメリカ心理学の父とされるウィリアム・ジェームズも1890年の昔にこのようなことを言っています。
他人との交際においてまず第一に心得ておくべきことは何かといえば、他人がそれぞれ独特なるやり方でもって幸福な生活を築こうとしているのに対して、そのやり方が我々自身のやり方に暴力をもって干渉してくるようなものでない限りは、何ら干渉を加えない、ということであります。どんな人だって、ありとあらゆる理想が皆分かる、ということはありません。いかなる人も、すべての理想に対して軽々に即断を下すようなことをあえてしてはならぬのです。
W・ジェイムズ著作集 1 心理学についてー教師と学生に語るー 日本教文社; デジタル・オンデマンド版 (2014/8/1) p266
「今の瞬間には思っている以上に多くの情報が溢れているのだ。たやすく決めつけてしまう前にリアルな今を見よ!」といつも何度でも思い出します。
2,自分の限界に気づいていること
先程、エリクソンの言葉とも少し重なっているのですが、今度は自分の限界を正しく認識する、ということです。
つまりは、自分にできることとできないことを明確に区別するということです。わかりやすいところで言えば職務的な領域の話があります。
私は、心理学については学んでいますがセラピストではありません。なので、治療のようなことはできないし、行ってはいけないのです(決まっていることでもあります)。もし仮に、治療的な行為を行ったとしてもそれはあまり良い結果は招かないでしょう。そして結果として、私も受けてくれた方も双方にとってよくない結果となります。
人は無限の可能性も持っていると私も思っているのですが、かと言って全能者なわけではありません。私にはできないことも対話にはできないことも必ずあります。
ともすれば、こういう話はネガティブに取られがちですが、自分自身にも手法にも必ず限界点があることを健全に受け止めていくのはプロフェッショナルとして大事な観点だと思っています。
3,反射的に反応しないこと、そして反応してしまいそうな自分に気づいていること
3つ目は、反応に関してのことです。
これは、このブックレビューで書いたとおりのことでもあります。
実のところ、一番邪魔をしてしまうのは支援者自身ということはよくあることです。
「なんとかしなければならない」「うまくいかせなければ」という気持ちから、相談に来た人の気づきの機会を奪ってしまう。
結果、気づきを妨げるだけではなく相談者を孤立させてしまう状況にもなりえます。
また、反応してしまう自分自身への影響に対しても気づくことも重要な観点です。これはフロイトのいう「逆転移」というものに近いといえます。
逆転移とは、セラピストがクライエントに対して抱いてしまうある種の感情のことをいいます。多くの場合は、親や配偶者など身近な人と感じている気持ちの投影のような感情です。「なんかガミガミ言いたくなる気持ちがでてくる」とか「恋人のような気がしてくる」などなど。
2つ目では、自分自身が持っている過去や状況に対しての反応という意味合いに近かったですが、こちらは「相手から受け取っているかもしれない感情」という考え方です。2つ目と3つ目の区別はつけにくい部分はありますが、観点として非常に重要だと考えます。
コミュニケーションというのは一方通行ではありえないものです。宿命のように必ず双方の情報のやり取りで行われるわけですが、そこにはメタ的なコミュニケーションも含まれてきます。メタとは上位という考え方で会話のさらに一段上の抽象的な部分で流れている文脈のことです。
例えば、ゲームをしているときは、ルールに従いつつも「これはゲームである」という文脈が根底に流れているからこそ成り立っているわけです。
これは、動物や赤ん坊ですら使っている無意識に近いコミュニケーションの特徴なのです。
日常においても、人がそれぞれの生活の中で、持っているメタ的な雰囲気が相手に伝搬するということがあるのは実感があります。簡単に言えば、「相手にそのように感じさせてしまう or してしまう」特性というか。 心の世代間伝達 という心理学的な考え方もある通り、この個人が受け継いでしまうもの含めたメタ的な文脈は考慮にいれるべきなのだと考えます。
自分自身のものと判別が難しいため、「これは、逆転移に違いない!」と断定しすぎるのは危険ではあるのですが、観点として持てるかどうかが非常に重要になってくるのではないかと思っています。フロイトの昔は、逆転移はよくないことと言われましたが、コフート以後、逆転移は活用していくというのが時代の主流とも言えます。これはこれで大事なリソースなのです。
4,支援者自身も気づきがあること
先程も言った通り、コミュニケーションというのは一方通行ではありえないものです。
これはすなわち、ある意味で対等であるということでもあります。
「気づかせる」⇔「気づき」の関係であった場合、それは会社のピラミッドのような従属関係に近いことにもなります。
ところが、コミュニケーションの対等性を考えた場合、支援者自身もなにかに気づいていなければ本当に効果のあるものであったとは言い難いような気がしています。ここについては、まだうまく語れないのですが、今までの項目と同様に重要性のある観点に位置づけています。
感覚的実感として、対話が双方向の関係になったとき、気づきはより加速され双方にとっての幸せシステムになるといえるのだと思います。 ナラティブ・セラピー がたどり着いた「無知の姿勢」に通じるものだと思います。
5,諦めないこと
最後は「諦めないこと」です。
私自身も、もともと諦めやすい性格なため、よく折れてしまっていたのですが最近ひしひしとその重要性を感じます。
※私自身の反省からの学びでもあります。
コーチングのような支援では、ときに一般社会では聞かないような質問をすることが多々あります。
なので、当然答えの一番多いものは「ちょっとわからないです」だったりするわけです。
あまりに意味がわからない無茶なものは答えられなくて当然なのですが、意図をもって質問しているのであれば、ここで諦めてはいけません。粘り強く相手の反応を見ながら、しつこくもう一言きいていくと、「そういえば…」とか「しいて言うなら…」という前置きとともに、ぽろりと大事なことがでてくることが多いのです。
しつこくなりすぎずにしつこく(笑)というのと、相手の可能性を信じるということでもあるかと思います。
まとめ
という感じで、私が行ってきた対話支援で大事な観点についてまとめてみました。冒頭でも言ったとおり、その他の環境設定(契約や倫理的な話など)や関係性(ラポールの築き方など)については、今回触れられていませんし、学術的にされている方々とは全く違う観点かと思います。
そのへん含めて、また別の機会に書きたいと思っています。