仮説力

心理系の仕事をしていると、どうも”すべてが解決する方法”という嘘が悩ましくなってくる。

世の中、いろいろなメソッドがあるけども、「すべてを一挙解決する理論はどれか?」と言われても難しさが残る。”これをすれば、すべての能力があがります”とか”これを学べばすべての悩みがなくなります”とか”これをやれば瞬間、あなたは素晴らしい人物になれます”とか、やればやるほど、むむむと唸るばかり。

もちろん、部分的には効果的なアプローチが色々とあるのは事実であるけども、すべてをまかないきるか?と言われると疑わしいのだ。

とはいえ、部分的にでも有効な方法については、常々考えている。
その中のひとつが、「いかに仮説をもてるか?」という考え方である。

通っている大学のグループワークで、以前、課題解決の問題があった。チームに与えられるカードの情報を元に、制限時間内に特定人物の場所を当てるというものだったが、情報だけで論理的に考えすぎるとスタックするようにできていた。

「ここにこれがあるということは、Bはここで決定のはず」
「Bがここなので、Cはここになるはず」
「となると、Dがここになるのはなんで?あわなくない?あれ????」
という止まり方をする。

多分にもれず、うちのチームも、そこで止まってしまった。ところが、チームの誰かが「ひょっとしてBが2つあるんじゃない?」という”仮説”を立てた。それを言った瞬間に、他全員が「ん?そんなことある?」と思ったのも事実だったが、そう考えてみると色々と話がつながりはじめ、結果、少しズレていたものの、私のチームだけが正解にたどり着くことができた。

道がないと思っていたのに、いつのまにか道ができていたのである。

往々にして、いつのまにか「そうに違いない」という視点にハマりがちであり、そこから抜けることすら許せなくなってしまうもので、私もたびたびいつまでも常にハマっている。

心理系の世界だと、この手の話は「思い込み」という話に帰着させやすい。
「思い込み」を手放しなさいと。

強すぎる思い込みは確かに苦しいし、トラウマのように反射化していると生きるのに邪魔になるのも確か。

ところがどっこい、”すべての思い込みをはずしてしまうが良い”と言ってしまうのは、ほとんどの人にとっては”急ぎすぎ”だと私は考える。
簡単に言えば、理由は3点。
・「思い込んだ」過去には、大事なものも詰まっているから。
・「思い込み」はいつかの自分を守る、助ける機能だった面もあるから。
・器の伴わない「自由」は逆にもっと苦しいこともある。(卒業には時期がある)

今日書きたいのはこの話ではないので別の機会に譲るとして、話を戻すと、この頑な気持ちのライトな抜け道のひとつが”仮説力”なのだと考える。

こんなことは、多くの人が言ってきてることなので、今更語ることでもないかもしれないが、ひとつの切り口として重要なようにも思う。デザイン思考のようなビジネスメソッドでも、ブレインストーミングのようなアイデア出しでも「なるべく多くの意見を尊重する」という視点が提示される。

「そんなわけない」と思われるような大胆さが、意外と道を開くのである。

このためにはまず、いかに思いつけるか?ということが必要になる。
自分自身の状態や自由闊達な場が求められるし、そのためにフレームワーク的なツールを知っているのもよいだろう。

そして次に、「こうに違いない」と「そんなわけない」の両面をどう抱えるか?
言い換えれば、健全に悩むということでもある。
そのために個人と場に、その考えを受け止める度量がいる。
蹴散らしてしまっては、道は途絶えるのだ。

このように何段階かの課題があるが、課題解決能力としても、人間の器向上トレーニングとしても、なかなかよいのではないかなとぼんやり思う。

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