先日、あるコーチから「ここ数年で一番変わったことは何か?」と問われた。少し考えた後で、「なにかいままでになかった視点が増えた気がする」と答えた。
これは、少し説明がしずらない話なのだけど整理してみようと思う。
現在、コーチの仕事の他にインタビュアーやサイト制作を含めて、色々な事をさせていただいている。その中でいつも感じるのは「結局、いうほど能力は変わっていないな」ということだったりする。もちろん、知識は増えている。昔はサイト制作なんかもできなかったし、元よりコーチングなどもできなかった。
ただ、心の構造などは、あまり変化していないような気がするのだ。相変わらず早とちりは多いし、うっかりも多いし、適当だし、思わぬことで怒るし、手順や効率が悪くて苦労したり、行動までが遅かったり、ストレスが溜まりやすかったり。
もし、今のまま当時の職場に戻ったとしたら、たぶん同じ状況になるような気がするのだ。
しかしながら、今はありがたいことに色々な先輩にかわいがっていただけている事もあって、身に余るほどのお仕事やお話をいただけている。ここについては、本当に感謝なのです。
一時期は「全く違う自分に成長したのだ!」と思ったこともあったが、今となっては、どうもそうではないようにも思うのだ。
変わったことを書いてみると、
- プロになった、実践を積んだ、ということ⇒結果、自分自身にばくっとした自信がついた。
- 気づくことが圧倒的に多くなったこと(これは単に”あ!”みたい気づき。大したことではない)
- 自分の感覚が持っている”ある意味の正しさ”を肯定して、見つめられるようになった。⇒昔は、すべてのサインを見過ごしていた。簡単にいえば、身体の感覚や自分の感情に対して、正直になった。
ここで、一番大きく見えるのは、1つ目の「なにかのプロになった」ということだろう。確かに、これは大きいことだった。今まで「何者でもない」と思っていた部分の自信が芽生えたのだ。
ただ、何かのプロの方はわかって理解いただけるかもしれないが、自分が世間に誇れるほどのプロフェッショナルかどうかは、スッパリと自信がもてるものでもないのだ。上には上がいて、学びはいつまでも続くのである。ここは人によって様々だろうとも思う。ある人は、ステータスがあれば満足だと思うし、お金があれば満足の人もいるだろうけど、私は「トップをとった!」みたいな満足感があるわけではないのだ。
なので、プロになったことは、根底に関わるコンプレックスのようなものを取り除く大きな要因ではあったけども、この文章の冒頭で書いたような「なにかいままでになかった視点が増えた気がする」の本意にはなっていないと、感じている。むしろ重要なのは、2つ目と3つ目のように思う。2つをまとめると、「自分の周りで起こっていること、感覚に素直になれてきている」という事なのだろう。
一見、これの何が大切なのか伝わりにくいかと思う。一般的な感覚としては、成長と言えば「対処」や「方法」を求めてしまうということだろう。事実、世の中には、その手の方法論を書いた本がいっぱいでている。しかしながら、人間関係を繋いでいくのは「仕事の良し悪しや処理の素晴らしさ」だけではないように思う。実は、それ以外のばくっとした印象で、進むことのほうが多い。
下の記事の途中でも書いたのだけど、意外と人は「ちゃんと話を理解してくれる人」を求めていたりする。これは経営者でも一緒だったりする。「自分の話を理解してくれる人」=「自分を助けてくれる人」になる。それは喜しいことなのだ。
それはなにも、コーチングをしろ、ということではない。むしろ、日常で質問的なコーチングスキルを連発してしまうと、聴いてもらっていると感じるどころか関係は崩れてしまう。
もっと、生物的な自然な聴き方でよいのだ。私がしてることも、黙って聴きながら、たまに「ああー、こういうことなんですね」くらいをいう感じだったりする。たいそうなことをする必要はない。
が、これが意外と難しかったりする。頭の中で、自分の事を色々と考えてしまうのだ。「あー、なんかいいこと言わないと」とか「反論しないと自分の意見を言ってることにならない」とか「あ、他の仕事の時間が迫ってるけど、いいにくいな」とか「とかいって、◯◯って言いたいだけやろ」みたいな。これが、相手目線をどんどん削いでいく。
頭の中の会話はとどまるところを知らない。だからこそ、そういう自分の声に気づくことが必要なのだ。未だに、私の頭の中も忙しくはあるけど、徐々に「今自分がどう感じているか」に気づけるようになってきた。
これが3つ目に書いた、自分の感覚を肯定する部分につながる。いいことを考えている自分を肯定するのではなくて、”嫌なことも含めて思っちゃったこと全部”を肯定するのだ。それが、冒頭の新しい視点なのだと思う。
そんなことで、わかりにくいし感じにくいことが、根本的には大事なんだよね〜と思う次第。