物事には、何事も流れの方向があるのだと、最近よく感じます。
相手に乗りながら伝達する場合
例えば、私のような仕事は、基本は1対1のコミュニケーションで話を聴くことが主になります。この場合、注意しているのは、聴いた上で伝えるときは「相手の世界観に合わせて伝える」ということです。
カール・ロジャーズ はこれを、「クライエントの内部照合枠にあわせる」というような言い方をしていましたが、相手が考えている世界観に合わせて立つことができて、はじめて相手の中で何かが芽生え始める、ということです。
これは「共感」の原則にかぶる部分でもあります。厳密に言ってしまうと、”物理的に相手と気持ちが共有できている”というのは、ある意味、幻想なのかもしれません。ところが、相手に芽生える「この人は、わかってくれている」と思う心、およびそれに伴う心理的開放感は確かなものなのだと感じています。
その意味で、コーチ・セラピストは、相手の世界に合わせて立場・主張を変えていくことが求められます。主張や意味よりも先に「合わせる」が優先される場合が多くあるのです。
言うなれば、「相手から流れてくるもの」に「一緒にのりながら」伝達するということです。
相手を乗せながら伝達する場合
一方で、不特定多数に伝える仕事(メディアや雑誌、本)のような場合、発信側は自分の意見を相手に明確に伝える必要があります。それは、言い換えるならば、自分の主張や世界観があり、それを他人に共有することと言えます。
ところが、それは厳密なターゲットが制限されていない媒体の場合、狙いを定めつつも不特定多数に向けることになります。ここでの伝え方は、最初のコーチ・セラピストのようなスタンスとは、ある意味真逆になるわけです。
つまり、「自分が流すもの」に「相手」をのせながら伝達するということです。
そうすることで、相手の中に自分の世界観を流すことができ、それが相手の世界観とうまく整合がとれれば、効果がでてくるのです。
そのためには、人間の共通的な感情や対象者の時勢・文化・環境にあわせた振る舞いをする必要があります。
片方だけが万全だとよいか?
ところが、対人支援だから「相手に乗る」だけでよいか?と言うと、そうでもない気がするのです。時には、こちらの世界観を伝えていくことが必要です。同様に「相手を乗せる」側にも「相手に乗る」ことも必要なときもあろうと思われます。
これは、伝える側の人のパーソナリティによっても得意不得意が別れるところで、各々の最適なバランスが求められるところでしょう。ですが、この両面のどのバランスにあるかは意識しておいて損はないように感じています。片手落ちでは、何かスタックすることがあるように感じます。ここには重力は働かず、上へも下へも自由に動くのです。
根底に流れることがバランスを決める
とすると、どのようにバランスをとるのか。それには、この根底に流れる”想い”の部分が重要になるかと思われます。企業で言えば、コンセプトともいえるかもしれません。
何を目的とするのか?
どんな在り方でいるのか?
その前提があってはじめて、スタンスは決められるのだと思われます。しかしながら、ここは絶対的なものではなく、日々変化していくものでもあります。なんなら、体調如何によって変わるでしょう。
コミュニケーションにおいて、自分が今、どちらの方向の流れにのっているのか、どうしたいのか、色々と日々考えるところであります。