自分も同じかもしれないという視点

先日、こんな記事をみた。
5,6年前に取材していただいた池上さんの記事である。


引きこもりの利用者を「うつ」にする就労支援施設、隠れパワハラの実態:ダイアモンド・オンライン

私も、コーチングとは別に障害者就労に関わっているので、とても胸の痛む記事。

これは明らかによくない。
恫喝や怒鳴り散らすようなこと、契約の強要など絶対あってはならない。

ただ、あえて別の見方もする。
こういうニュースを見た時、いつも「自分たちにも同じ側面があるかもしれない」という視点を持ってみる。

そんなつもりも記憶もなかったとしても、自分たちも同じような印象を思われているかもしれない。
と考えてみる。

人と関わる中での実体験として、自分は絶対に違う、と思うことは、大抵の盲点につながることを知っているからだ。

他人の内側はみれないし、それにも気づけないというのは、1890年代にアメリカの心理学者ジェームズさんが言った、今の時代も共通するであろう人間の盲目性である。確かに、すべての人の気持ちを本当の意味でわかりうる人など、いるのかすらわからない。

つまりは、人からどのように受け取られているかは、結局のところわかりえないのだ。
ひょっとすると、この記事の相手の事業所の人には、そんな意識すらなく、いいことをしている気分かもしれないのだ。

あらゆる分野に共通しているかもしれないが、いつでも倫理的道徳的な部分を自身の鏡として顧み続けなければ、支援者は成熟しえないのではないかと感じる。支援者サイドも、いつでも途上にいるのだ。

そして、支援という性質そのものが表面上の「優しさ」だけでは成り立たないことも事実である。かといって、恫喝してはいけないのだけど、ある種の「厳しさ」は必要な側面だったりもする。すべてのことには、yes,noだけではなく奥行きがあるのだ。

気持ちの底の部分で、深い道徳的基盤に則った「優しさ」と「厳しさ」を持ち続けられるか?
己の器を顧み続けるしかないなと、自戒を込める。


Photo by Avgust Chech on Unsplash

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