人間万事塞翁が馬から始まるエトセトラ

中国の有名な故事に、「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」というのがあります。

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意味と由来

意味するところを簡潔に言うと「人生の中で起こることに、いい悪いの判断をつけるのは難しい」ということだそうです。悪いと思ったことがよくなることもあるし、よいと思ったことが悪いとなることもある、と。

由来は下記。

[由来] 「淮南子―人じん間かん訓」に載っている話から。中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに、占いが得意な「翁(老人)」が住んでいました。あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、彼は「これは幸運が訪れる印だよ」と言います。そして、そのとおり、逃げた馬は立派な馬を連れて帰ってきました。そこでみんなが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と言います。実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。またみんなが同情すると、彼の答えは、「これは幸運の前触れだ」。息子はその怪我のおかげで、戦争に行かずにすんだのでした。
コトバンク

英語ですが、アニメーションの動画もありました。

The Story of the Chinese Farmer from Sustainable Human on Vimeo.

 

動画だと、Farmerは隣人の心配に対してmaybeしか言ってないですね笑。
そのへん海外ジョーク感を感じます。

どのように解釈するかは人それぞれではあると思いますが、私としては起こったことを淡々と表現している様子に東洋的な視点を感じています。起こったこと自体の白黒もその先の良し悪しもないと。そういうもので、別にそれ以上ないよと。息子が助かったという話で終わっているのは、ハッピーな話にしたいという意図ではないと思っています。

似ている表現と違い

ここでいくつか似ていると感じた表現を紹介できればと思っています。そもそも同じものとして括っていいのか?という大問題がありつつも、私としては自分を超えた大きな流れ(スピ的な意味ではなく、抗えないという意味)の中で、自己をどのように捉えていくのか?という点で、共通点があるように感じました。

ケセラセラ

似ている表現として、ケセラセラ(que será, será)という歌があります。「なるようになるさ」的な意味ですね。ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌です。(だいぶ昔に淀川さんの日曜ロードショウとかで見た記憶がありますが、内容はあまり覚えていない…。誘拐ものだったような。)

どんなふうになるかなーという希望に対して「なるようにしかならないから」と、何があるかわからないからこそのお楽しみ♡そこを楽しんでいこう!的な雰囲気を感じます。

個人的には、sly & the family stoneのカバーをよく聞いていました。
同じ曲でもブラックミュージック的な表現だとブルージーさ(泥臭さと哀愁)を感じます。

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Let it Be

こちらもBeatlesの超有名曲。「あるがままに」的な意味で訳されることが多いようです。ポールは、現状のすべてを肯定して流れに委ねていった先に答えがある(世界がそうなればいい)というような、個人を超えた団結的なニュアンスもいれているところが、興味深いです。

なぜ詩になり歌になるのか?

こうやって書いてみると、自分が直面している現実をどんなふうに捉え、大きくどう意味づけるのか?というメッセージ性の違いを面白く感じました。

それこそ、「結局どれが正しいの!?」みたいなことではなく、それぞれが表現したい意図をそれぞれの形で表していること、そしてそこには相応の背景やプロセスがあったであろうこと自体が素敵だなと思った次第です。

以前書いたムーミンの話もこれに近いことでした。
このテーマは、私の最近のトレンドなのでしょう。

おち対人コミュニケーションデザイン事務所〜対話・インタビュー・心理学〜新宿区西早稲田

トーベ・ヤンソンのムーミン谷の冬より困難の乗り越え方について、作者の意図も含めて解説。…

でも、なんでしょうね。人はなぜ、こういう表現に昇華しようと思うのか?とても不思議です。
そんなことを考えていて、ふと、夏目漱石の草枕の冒頭を思い出しました。これも一つの解のように感じています。

 山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟とった時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
住みにくき世から、住みにくき煩わずらいを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云いえば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧わく。着想を紙に落さぬとも※(「王+膠のつくり」、第3水準1-88-22)鏘そうの音は胸裏に起こる。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得うれば足たる。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家にはせっけんなきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いいよいよ深く、楽の大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片かたづけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖ふえれば寝ねる間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽あき足たらぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……

夏目漱石 草枕 冒頭

話がちらばりましたが、今日はこのへんで

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